生き方のヒントが欲しい人に~『漫画 君たちはどう生きるか』感想~

君たちはどう生きるか

『漫画 君たちはどう生きるか』は、200万部を突破し、2018年最大のベストセラーになった本です。のび太くんのようなメガネの少年(コペルくん)の絵を、見たことがある人は多いでしょう。

この本について、下のような理由で興味を持っている人は多いかと思います。

  • タイトルどおり「どう生きるか」の参考にしたい
  • 有名な本なので、大体の内容を知りたい

どちらの興味にしても、この本はいわゆる「感動系」なので、実際に読んでいただくのが一番です。ただ「先に要約や感想を読みたい」という人もいるでしょう。

今回はそのようなニーズに応えて、本書の内容を要約しつつ、筆者による感想や書評を書き加えていきます。生き方について考えている人も、この本自体に興味を持っている人も、ぜひ参考にしていただけたらと思います。

(読書感想文のネタを探している中学生なども、ぜひ参考にしてみてください)

※なお、本書はストーリー展開が売りの本ではなく、ネタバレをしても全く影響がありません。そのため、当記事は一部ネタバレも含んでいますが、安心してお読みいただけたらと思います。

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ものの見方とは何か(コペルニクスの生き方について)

コペルニクス

本書の主人公の名前は「コペルくん」で、名前の由来はコペルニクスです。コペルくんとおじさんは、物語の序盤で銀座のデパートの屋上に登ります。

そして、銀座を歩くたくさんの人々が小さく見えることを、分子を習ったばかりのコペルくんが「人間は分子みたいだ」と言ったのです。おじさんがその「発見」を讃えて、コペルくんというあだなをつけるところから、物語がスタートします。

コペルニクス的発想とは「斬新なアイディア」ではない

コペルニクス的発想というと、一般的に「逆転の発想」を意味します。斬新なアイディアということです。

確かにそういう側面もあり、斬新なアイディアは良いものです。しかし、本書の中でおじさんが説くコペルニクス的発想は、もっと本質的なものです。

「正しさ」と一体化する

コペルニクスが地動説を唱えたのは、奇をてらったわけではありません。また、最初から「今の学説を倒そう」と思っていたわけではありません。

  • 普通に「正しいこと」を知ろうとしていた
  • その過程で「天動説ではどうしても説明がつかない」と感じた
  • そして地動説を考えたら、すべて説明がつくようになった

ということなのです。つまり、コペルニクスの中に「べき論」はなかったのです。単純に正しさ(この場合は科学的事実)と一体化していたら、自然に地動説が生まれたといえます。

「自分を離れる」ことで、正しく新しい発想が生まれる

コペルニクスは聖職者でした。つまり、彼にとっても「地動説は都合が悪い」ものだったのです。

彼が「大人の事情」や保身を考えていたら、地動説の発表はしなかったでしょう。実際、同時期に同じことに気づいても、職業上いわずに黙っていた聖職者もいたかもしれません。

このような自分の立場、損得を離れて考えたり行動したりすることについて、おじさんはこう説いています。

いや、君が大人になるとわかるけれど、こういう自分中心の考え方を抜け切っている人は、広い世の中にも、実にまれなのだ。
殊に、損得にかかわることになると、自分を離れて正しく判断してゆくということは、非常に難しいことで、こういうことについてすら、コペルニクス風の考え方のできる人は非常に偉い人といっていい。

利害関係などの立場にとらわれていると、本当に正しいこと(たとえば科学的発見)に気づくチャンスがあっても、それを見逃してしまいます。斬新な発想をするためにも、「立場や損得にとらわれない」ことが必要ということです。

(社会人の場合は「そうも言っていられない」という場面が多々あるため、この辺は「いい塩梅でうまくやる」ということに尽きるでしょうが)

人間の結びつきとは何か(生産関係について)

つながり

コペルくんは牛乳(脱脂粉乳)の缶を見ていて、あることに気づきます。それは、この缶がコペルくんの家に届くまでに、あらゆる人の労働が関わっているということです(大人にとっては当たり前のことですが)。

コペルくんはこの現象に「人間分子の関係、網目の法則」と名づけ、おじさんに手紙で報告します。おじさんはこの関係を「生産関係」ということを教え、下のように書きます。

人間は、人間同士、地球を包んでしまうような網目をつくりあげたとはいえ、そのつながりは、まだまだ本当に人間らしい関係になっているとはいえない。

これは現代の方がさらに当てはまりますが、経済的なつながりは密になっているものの、人間的なつながりは希薄になっているということです。マイケル・サンデル教授の書籍に『それをお金で買いますか』というものがありますが、経済性と人間性は、一致する部分もあれば相反する部分もあるということです。

貧乏とは何か(人間の貴賤について)

浦川くん

コペルくんの友達の浦川くんは家が貧しく、家業の揚げ豆腐の仕事を手伝っています。家のために働く浦川くんを見て感銘を受けたコペルくんに対して、おじさんはノートにこう書いています。

僕たちも、人間であるからには、たとえ貧しくともそのために自分をつまらない人間と考えたりしないように、――また、たとえ豊かな暮らしをしたからといって、それで自分を何か偉いもののように考えたりしないように、いつでも、自分の人間としての値打ちにしっかりと目をつけて生きてゆかなければいけない。

実際には、おじさんも本書で指摘しているとおり、貧しいと栄養や住居、睡眠時間などの面で、脳が弱りやすい状態になります。その状況で強い気概を持つのは、科学的に難しいことかもしれません。「貧すれば鈍す」という言葉のとおりです。

ただ、上のおじさんの言葉のような考えを、持っているかいないかでは、大きく違うでしょう。物理的に絶望的な状態になったら別ですが、その手前なら「精神ひとつ」で変わる部分も大きくあります。

(フランクルの『夜と霧』でも描写されている有名な話ですが、アウシュビッツ強制収容所から生還した人の多くが、屈強な体を持つ人ではなく、ユーモアや芸術を愛する心があったり、哲学や人間関係などの精神的なバックボーンを持つ人だったといいます)

偉大な人間とはどんな人か(ナポレオンの一生について)

ナポレオン

ナポレオンの人生に興味を持ったコペルくんや友達のガッチン。2人に対して、おじさんはナポレオンの人生から「偉大な人間」の条件を伝えます。要約すると主に下記の3つです。

  • とことん精力的に動くこと
  • 人間の世界の「正しい流れ」に背かないこと
  • どんな境遇でもプライドを捨てないこと

ナポレオンはまったく無名の貧乏将校だった時代から、わずか10年の間にヨーロッパ全域を支配する皇帝になりました。おじさんはまず、この超人的な行動力を讃えています。

その一方で、そこから先の10年については「間違っていた部分」も指摘しています。

  • 前半の10年は、フランスを他国による侵略から救い、ヨーロッパ全体にも新しい文化をもたらした
  • しかし、後半の10年はイギリスとヨーロッパの通商を禁止するなど、ヨーロッパ全体にマイナスをもたらした

ということです。前半の10年に破竹の勢いだったのは、フランスにとってもヨーロッパの大衆にとってもナポレオンのやっていることが正しかったためです。

逆に、後半の10年は自らの権勢を強めることにとらわれ、ヨーロッパ全域にマイナスをもたらしたため、時代の流れで排斥されたということです。おじさんは「正しい流れに乗らなければ、どんな人間も必ず終わる。あるいは忘れられてしまう」ということを語っています。

どんな境遇でもプライドを捨てないこと

後半10年のナポレオンを批判しつつも、おじさんは「最後」のナポレオンを讃えています。これは「貧乏とは何か」の内容にも通じるものです。

ナポレオンは最後、長年の宿敵だったイギリスの捕虜となり、イギリスに護送され、テームズ川の河口の船の中で軟禁されていました。自分たちを長年苦しめ、没落したナポレオンの姿を一目見ようと、連日大勢のイギリス人が船の周りに集まっていたといいます。

ナポレオンはずっと船室に閉じこもっていましたが、ある日、久しぶりに外に出たくなり、甲板に出ました。現代の日本人の想像なら、イギリス人から罵詈雑言や嘲笑の言葉が飛び、物を投げられるところが思い浮かぶでしょう。

実際、現場のイギリス人たちもそうするつもりだったかもしれません。しかし、ナポレオンが甲板に現れた瞬間、場の空気は一転したといいます。

そして、その次の瞬間―、コペル君、どんなことが起こったと思う。
数万のイギリス人は、誰がいい出すともなく帽子を取って、無言で彼に深い敬意を表して立っていたのだ。
戦いにやぶれ、ヨーロッパのどこにも身の置きどころがなく、いま長年の宿敵の手にとらわれて、その本国につれて来られていながら、ナポレオンは、みじめな意気阻喪した姿をさらしはしなかったのだ。

ナポレオンがこの船(ベレロフォン号)の甲板に立っている姿は、今でも肖像画として複数の作品が残っています。

ナポレオン出典:ナポレオン | Wikipedia

2つとも場面が違うので、どちらが甲板に現れたシーンのものかはわかりません(どちらも別の場面の可能性があります)。

ナポレオン
出典:ベレロフォン | Wikipedia

何にしても、このように複数の絵が残っているということは「ベレロフォンで捕虜として囚われて連行されたナポレオン」に対しても、当時の人々が威厳を感じていたということでしょう。どちらの絵も、ナポレオンは英雄然として描かれています。

(2枚目はふてぶてしいほどです。1枚目は少々の哀愁も感じますが)。

正直、このエピソードが事実かはわかりません。少なくとも日本語の情報は、すべての出典がこの『君たちはどう生きるか』になっています(原作を含め)。

ただ、ナポレオンが最後まで意気消沈せず、王者の風格を保っていたことは確かでしょう。ナポレオンに征服された各国の人々は、ナポレオンが最後にみじめな姿を見せていたら、そちらを面白がって広めたはずです。

しかし、そうならなかったということは、上記のエピソードとは違う形であっても、イギリス人が感銘を受けるくらい、ナポレオンは最後まで堂々としていたということです。

ただの「善い人」で終わらず、英雄的な気迫を持つこと

おじさんはこの章の最後でこう語っています。

君も大人になってゆくと、よい心がけをもっていながら、弱いばかりにその心がけを生かし切れないでいる、小さな善人がどんなに多いかということを、おいおいに知って来るだろう。
(中略)
人類の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気魄を欠いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ。

これはニーチェの超人思想でいう「畜群」を抜け出し「獅子」になる段階と同じことを言っているといえます。ニーチェの思想は獅子の後に「幼子」になることを理想としますが、それは「コペルニクス」の段落で触れた「正しさと一体化する」感覚に近いといえるでしょう。

(正しさと一体化していたら、ジャーナリストなどにならない限りは、誰とも戦う必要がないためです)

人間はなぜ悩むのか(ゲーテの言葉について)

漫画

物語の終盤、コペルくんは友人たちを裏切ってしまいます。乱暴な上級生たちに友人たちが殴られるとき、「他に仲間の奴はいないか」と聞かれ、黙ってしまうのです。

上級生に狙われていたのはガッチンという友達ですが、以前にコペルくんは「ガッチンが狙われたら僕が盾になる」と約束していました。しかし、その約束を完全に裏切ったわけです。

コペルくんは自分に絶望し、熱を出して寝込んでしまいました。おじさんの叱咤を受けて奮起し、友人たちのお詫びの手紙を書き、コペルくんは勇気を出して学校に行きます。

このとき、おじさんが後にコペルくんに見せるためのノートの中に「人間の悩みと、過ちと、偉大さとについて」という章を記します。ゲーテの言葉を引きながら、下のような言葉を書いています。

「王位を失った国王でなかったら、誰が、王位にいないことを悲しむものがあろう」
正しい同義に従って行動する能力を備えたものでなければ、自分の過ちを思って、つらい涙を流しはしないのだ。

この言葉がいわんとするところは、悩むということは良心があるということだということです。悩んでいるとき、多くの人は「自分はダメだ。悪だ」と思うわけですが、本当にそうだったら「そもそも、そんな風に悩んだりしない」と、おじさんは言うのです。

おじさんはコペルくんにこう伝えます。

僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。
だから誤りを犯すこともある。
しかし――
僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。
だから、誤りから立ち直ることもできるのだ。

この言葉は、ドラえもんの有名なセリフにも似ています。45年後ののび太が、少年ののび太にかける言葉です。

ドラえもん

一つだけ教えておこう。
きみはこれからも何度もつまづく。
でもそのたびに立ち直る強さももっているんだよ。

ドラえもんは「意外に名言が多い」ことで有名ですが、この言葉は『君たちはどう生きるか』のクライマックスと、まったく同じメッセージを伝えているといえるでしょう。

君たちは、どう生きるか。

銀座

ラストでコペルくんとおじさんは、最初で登場した銀座のデパートの屋上に、もう一度登ります。そして、コペルくんはこう考えます。

世の中を回している中心なんて、もしかしたらないのかもしれない。
太陽みたいに、たったひとつの大きな存在が、世の中を回しているのではなく、
誰かのためにっていう小さな意志が、ひとつひとつつながって、
僕たちの生きる世界は動いている。

そして、タイトルにもなっている原作のラストの文章につながります。

コペルくんは、こういう考えで生きてゆくようになりました。
そして長い長いお話も、ひとまずこれで終わりです。
そこで、最後に、みなさんにおたずねしたいと思います――。

君たちは、どう生きるか。
吉野源三郎

最後にあらためて「君たちは、どう生きるか」と聞かれて、本書のどの部分が一番に振り返るかは、人それぞれでしょう。お金に困っている人なら「貧乏について」の部分を思い出すでしょうし、「自分は気が弱いせいでいつも損している」と思う人なら、ナポレオンのくだりの最後の部分を思い出すかもしれません。「気魄が足りないせいで力を生かしきれていない善人が多い」という部分です。

どの部分を参考にするにしても、名作はあくまでコペルくんがいう「分子」の1つです。行動や経験といった「他の分子」と結合して初めて意味があるといえます。

そのため、本書を読むだけで生き方の答えが見つかることは当然ありませんが、行動のきっかけや生き方の良いヒントには、高い確率でなるでしょう。

当記事を読んで内容に興味を持っていただけたら、ぜひ本書もチェックしてみてください(感動系の本は、やはり実物を読むのが一番です)。

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